ちょっとおしゃれで気楽なショッピングストリート 奉還町パサージュ! ご家族おそろいで奉還町商店街へ行ってみよう!

奉還町商店街の歴史
いまを去ること100余年、明治維新あり。廃藩置県により失職した池田藩の武士たちが手にした奉還金の使い道は、なんと自らの手で商売を始めることだった。
奉還町で最初に店を出したのは、奉還金にちなんで『奉還モチ』という餅を売り出した餅屋らしく、その後も奉還金を手にしたリストラ武士たちが次々と移住。
商いの素人たちが奉還町に集まりうどん屋やら荒物屋やら次々開店、世にも珍しい士族ばかりの商店街を出現させた。
初めは武士が出店したということでもの珍しさも手伝ってか結構繁盛していたらしいが、なにぶん商売のイロハも分からない。
頭の下げ方も分からない。刀をソロバンに代えてなれぬ手つきで弾いてみても毎月赤字続き。偉そうな物言いの武家商法でお客さんが腹を立てて帰ることもしばしば。あまりにも売れないので材料費・手間賃なしで売ってみたりと笑えぬエピソードも多々。
ほとんどの店は撤退を余儀なくされた。現代に残る、武士の退職金である奉還金を資本に商売を始めた店の生き残りは『杉山種苗』ただ一軒。
他は戦後に開店した店がほとんどである。
第二次世界大戦中、商店街は空襲に見舞われる。岡山大空襲(1945.6.29)である。価格が安くかつ庶民的な商店街として古くから栄えてきた奉還町は一面焼け野原となり、ゼロからのスタートを余儀なくされた。復興を救ったのは戦後の岡山県庁の一時移転(1945.9.21)だ。岡山県庁が今の岡山工業高校のある場所に移転したことで人通りの確保に成功、目を見張る復興を遂げ今の奉還町を世に知らしめることとなった。
昭和20年代から30年代は奉還町商店街の黄金期だ。買い物をするなら奉還町、ウインドウショッピングをするために県北から電車を使っての買い物客も多く交通整理をしないといけないほどの人で街はごった返し、夜10時ごろまで人通りが絶えることなく大変にぎわった。奉還町商店街は県内にある商店街の中で最も駅に近く、駅から遠い他の商店街を抜いて岡山一活気のある街へと成長した。まだアーケードのない商店街の中をバスが行きかい、駅から県庁までの人ごみは連日連夜続いたという。
しかし、県庁の再移転(1957.3.19)で繁栄はかげり、のちに大型店進出による大打撃を受ける。スーパーやデパートの台頭により手軽に多様な種類の惣菜や産直の野菜が手に入るようになり、昔ながらの店は苦戦を強いられた。
1962年、岡山国体が開かれた。それを期に街路が整備され現在の街並みの大半が揃いJR岡山駅の西の玄関口として栄えたものの、郊外型の大型店の影響で厳しい環境にさらされることとなった奉還町。時間の流れとともに街は緩やかに変化し、いまでは気軽に下駄履きで買い物ができる庶民性と下町情緒が魅力になって根強い人気を持つ。店主との会話のやりとりも下町ならではの買い物の楽しみ方だ。ここにはデパートにはない人情があり、それが街を支えている。
昭和50年頃からつづく商店街の名物イベント『一二三市(ひふみいち)』は、毎月1日2日3日に行われる特価品を山積みにして売る大露店市だ。
商店街の通りに各店自慢の商品が並び、買い物客は掘り出し物を見つけたり、会話を楽しむ。そこへ行けば、懐かしい温かいやりとりを通して奉還町ならではのお付き合いを体験できる。商店街の品揃えは各店の工夫で個性的。ちょっとスーパーではお目にかかれない品が客には嬉しい。品物によってはスーパーの3分の1の値段で買えるものもあり、オマケを惜しまない店主の姿や少々傷が入っているくらいの野菜が安く提供されるといった風景は商店街の日常だ。100年を超える歴史の荒波にもまれながら奉還町商店街が生き残ってきた理由はここにある。今も昔も変わらず地域に密着し、住民の生活を支えながらしなやかに息づいてきたのだ。
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